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» 2012 » 7月

被災地のエコツーリズム体験ツアー《3日目・エコツアー編》

月1日(月)は前日と打って変わって、曇りからスタート。
最終日の朝は、宝来館の女将が根浜海岸の松林で津波がきたときのこと、被災当時の様子、これから復興に向けてどのように活動していきたいかなどをお話しました。
実際に波にのまれた経験や、宝来館へ避難してきた人たちと過ごした支援がくるまでの時間について、語ってくれました。
「神様、仏様のおかげでも、運がいい悪いでもない。あの日私は生きれた。あの日あなたは生きれなかった。津波というのはそれだけのこと。」
と言う言葉が私にとって最も印象に残っています。
宝来館をあとにし、釜石市の橋野地区へ。これまでの2日間は釜石市の沿岸部を訪れましたが、3日目は山の自然や地域資源に触れてもらいました。
橋野地区に入ると、雨が降ってきました。
まずは山の傾斜を利用した水力発電の施設を見学。一度発電のために落とした水を水平方向に運び、次の発電施設へ送るという仕組みで、3回水を落として発電するものでした。
この日は発電施設の整備のため、水路に水は流れていませんでしたが、5月に視察に訪れたときはこんな感じでした。
さらに山を登り、訪れたのは橋野高炉跡。ここは江戸時代にできた日本初の洋式の高炉であり、石を積んでできた高炉跡を見ることができます。釜石には橋野高炉を始めとする13の高炉が立ち並び幕末に東洋最大のコンビナートを形成していました。文献などで鉄鋼業のはじまりを示すものはいくつかあるそうですが、本当に史跡が残っている場所はここだけです。現在、「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産として世界遺産登録を目指しています。
最後に、釜石駅前でバスを止め、昼食とお土産を買う時間をとりました。サンフィッシュ釜石とシープラザ釜石には飲食店とお土産さんが入っています。
釜石を出発し大阪へ向かう道中、遠野市にある道の駅「風の丘」へ立ち寄りました。
現地解散の参加者を、新花巻駅、花巻空港で下ろし、磐越自動車道、北陸自動車道経由で大阪へ。
大阪までの帰り道では、磐梯山SAで夕食。
7月2日朝5時に大阪駅に到着し、解散しました。
今回、ツアー参加者からは参加してよかったという声を多くいただいております。
今後もこのようなツアーを企画し、大阪からできる被災地支援ということで、活動を進めていきたいと思います。
次回は秋に開催予定ですので、みなさんのご参加を心よりお待ちしております。
記:相澤2

被災地のエコツーリズム体験ツアーについて

現地での活動3日目、7月1日(月)は前日と打って変わって、曇りからスタート。

最終日の朝は、宝来館の女将が根浜海岸の松林で津波がきたときのこと、被災当時の様子、これから復興に向けてどのように活動していきたいかなどをお話しました。

実際に波にのまれた経験や、宝来館へ避難してきた人たちと過ごした支援がくるまでの時間について、語ってくれました。
「神様、仏様のおかげでも、運がいい悪いでもない。あの日私は生きれた。あの日あなたは生きれなかった。津波というのはそれだけのこと。」と言う言葉が私にとって最も印象に残っています。

宝来館をあとにし、釜石市の橋野地区へ。これまでの2日間は釜石市の沿岸部を訪れましたが、3日目は山の自然や地域資源に触れてもらいました。

途中寄ったのは「どんぐり広場」
産直野菜の販売所があります。

橋野地区に入ると、雨が降ってきました。まずは山の傾斜を利用した水力発電の施設を見学。一度発電のために落とした水を水平方向に運び、次の発電施設へ送るという仕組みで、3回水を落として発電するものでした。

この日は発電施設の整備のため、水路に水は流れていませんでした。

さらに山を登り、訪れたのは橋野高炉跡。ここは江戸時代にできた日本初の洋式の高炉であり、石を積んでできた高炉跡を見ることができます。釜石には橋野高炉を始めとする13の高炉が立ち並び幕末に東洋最大のコンビナートを形成していました。文献などで鉄鋼業のはじまりを示すものはいくつかあるそうですが、本当に史跡が残っている場所はここだけです。現在、「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産として世界遺産登録を目指しています。

ガイドの藤原さんの案内で、この場所が持つ意味が伝わってきます。

最後に、釜石駅前でバスを止め、昼食とお土産を買う時間をとりました。サンフィッシュ釜石とシープラザ釜石には飲食店とお土産さんが入っています。

釜石を出発し大阪へ向かう道中、遠野市にある道の駅「風の丘」へ立ち寄りました。

現地解散の参加者を、新花巻駅、花巻空港で下ろし、磐越自動車道、北陸自動車道経由で大阪へ。
大阪までの帰り道では、磐梯山SAで夕食。
7月2日朝5時に大阪駅に到着し、解散しました。

解散し参加者を見送ったあと、ホッとしたスタッフ相澤は、大阪駅高架下で釜石の地酒を…

今回、ツアー参加者からは参加してよかったという声を多くいただいております。今後もこのようなツアーを企画し、大阪からできる被災地支援ということで、活動を進めていきたいと思います。

次回は秋に開催予定ですので、みなさんのご参加を心よりお待ちしております。

移動道中、1日目・釜石到着編
1日目・釜石 被災地視察編
2日目・ボランティア活動編
3日目・エコツアー編

記:相澤

今回のツアーの視察のために5月にも釜石を訪れています。
その時の様子もぜひご覧ください。

エコツーリズム体験ツアー視察:被災地訪問記
1日目「遠野山・里・暮らしネットワーク編」
2日目「ツアーの下見編」
3日目「ツアーの下見編その2」
4日目「被災地沿岸部をまわる編」

※本事業は三菱商事復興支援財団の助成を受けて活動しています。

Filed under: イベント報告・ホームページ更新 | 未分類 | 東日本大震災支援 | 環境フロンティア講座 — aozorafoundation 公開日 2012/07/04(水) 05:55

被災地のエコツーリズム体験ツアー《2日目・ボランティア活動編》

被災地のエコツーリズム体験ツアーについて

現地の活動2日目、6月30日(土)は、雲一つない青空でした。

朝ごはんを食べ、各自作業のための準備をし、宝来館の玄関へ集合。清掃ボランティア作業を行う場所は宝来館から歩いて5分くらいのところ。根浜地区というところです。
かつては60戸ほどの家があったそうですが、現場には住居の基礎しか残っておらず、震災前の光景を想像することも困難な状況が目の前にありました。

根浜地区では毎年、トライアスロンの国際大会が開催され、多くの参加者が訪れていました。
この大会を復活させようという動きが出てきており、まずは2012年8月5日にスイム(水泳)のみの「釜石はまゆりオープンウォータースイム」という大会を開催する予定となっています。

釜石はまゆりオープンウォータースイムのHP http://www3.ocn.ne.jp/~hamayuri/

今回のボランティア活動は大会の会場を整備するために、流れ着いた土砂や瓦礫の撤去・運搬をはじめとした清掃をしました。
最初にボランティアを指導するもんじぃからボランティア作業について説明を受けました。

ボランティア活動は「してあげる」ではなく「させてもらう」ものであり、活動する場所は「戦場」であることを最初に聞きました。
津波で、土砂と一緒にアスベストやダイオキシンなどの有害物質が運ばれてきているかもしれないことや、現場の足下にある釘などでケガをするおそれがあることなどを聞き、ボランティア作業に対する印象が変わった参加者も多かったのではないでしょうか?

説明を聞いたあとは、グループに分かれて作業しました。

土砂をスコップでかき出したり、瓦礫を運搬したり、参加者のみなさん一生懸命取り組みました。気温はさほど高くなかったものの、日差しが厳しかったので、適宜休憩を取りながら作業を進めました。

お昼休みには、地元のお母さん手作りの「あづまっぺ弁当」とおしるこ、宝来館からそうめんの差し入れがあり、宝来館のデッキ「星めぐり広場」や根浜海岸の松林の中など、それぞれ思い思いの場所でお昼を食べました。

午後も作業をして、終了後にはもんじぃに根浜神社を案内してもらいました。

ここは海、山、川の神様が祀られていて、必勝祈願の御利益もあるということです。
境内については写真に撮れないということでしたので、神社からの根浜地区の眺めを撮りました。

みんなで記念撮影。
最後にもんじぃから「今回のボランティアの経験を「伝える」ことが大切だ」と言われました。
帰ったら周りの人に伝える、参加者のみなさんの心の中にもこの言葉が残っているのではないかと思います。

作業終了後、仮設の「鵜!はまなす商店街」に行きました。

商店街の人と交流する一幕も見られました。

この日の夕食後には、地元の伝統芸能「虎舞」を、鵜住居地区の青年団の方たちが披露してくれました。

太鼓やお囃子(はやし)で音を鳴らし、合わせて虎に扮して舞う様は迫力満点でした。
釜石の人はこの虎舞が大好きで、津波で道具などが流されてしまいましたが、道具を作ってくれる人を探し、今また虎舞をやりはじめました。
土曜だったこともあり、地域の子どもが虎舞を見にきて、またお囃子に合わせて踊りを披露してくれました。

その後懇親会を開き、参加者同士の交流も見られました。

そして最終日、3日目に続きます。

記:相澤

移動道中、1日目・釜石到着編
1日目・釜石 被災地視察編
2日目・ボランティア活動編
3日目・エコツアー編

※本事業は三菱商事復興支援財団の助成を受けて活動しています。

Filed under: イベント報告・ホームページ更新 | 未分類 | 東日本大震災支援 | 環境フロンティア講座 — aozorafoundation 公開日 2012/07/04(水) 05:55

資料館だより41号を発行しました。

資料館だより41号を発行しました。

dyrno41

エコミューズにて配布しております。

また、PDF版はこちらからダウンロードできます。

Filed under: イベント報告・ホームページ更新 | 資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2012/07/04(水) 03:28

中国語版資料:传达公害地区现状的调研旅行

スタディーツアーの中国語版資料をアップしました。2009年度富山(イタイイタイ病)、2010年度新潟(新潟水俣病)、2011年西淀川(大気汚染公害)の三種類があります。

みんなとつながる~国際交流~ » 出版物・資料等

 または、

あおぞら財団の中国語ページ
の「传达公害地区现状的调研旅行」からダウンロードができます。

 現在、中国では急激な経済成長に伴い、公害も急激に増加しています。中国で発生した公害は、日系企業や日本への輸出製品の製造で排出されたものも多く、また日本にも汚染物質が飛来するなど決して人ごとではありません。中国においても、NGOによる公害反対運動が行われ、公害防止と公害被害者の救済を求めて精力的な活動がなされております。あおぞら財団では、日本の公害運動の経験を中国に伝え、中国のNGOとの協力することで、お互いのスキルアップをはかりながら、公害のない東アジア実現のために貢献したいと考えております。

Filed under: イベント報告・ホームページ更新 | 国際交流 | 資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2012/07/04(水) 03:25

被災地のエコツーリズム体験ツアー《1日目・釜石 被災地視察編》

被災地のエコツーリズム体験ツアーについて

●6月30日(金) ツアー1日目後半:津波被災現場にて
昼食後は釜石観光ボランティアガイド会の藤井静子さんの案内で、釜石の津波被災地をまわりました。

まずは、釜石湾を望む高台にある釜石大観音にのぼりました。ここで湾口防波堤の説明を受けました。釜石湾港防波堤は、「世界最大水深の防波堤」としてギネスブックにも登録された防波堤です。中央の開口部(300m)を挟んで北堤(990m)と南堤(670m)の防波堤でした。防波堤の想定5.6mを上回る津波が襲来、結果的に市内にも波は押し寄せましたが、防波堤が津波の高さを抑えた、到来を遅くした効果はあったとされています。

かんのんと参加者

かんのん 釜石湾

かんのん 参加者

そして鵜住居(うのすまい)地区の「鵜住居地区防災センター」で、説明を聞きました。
この防災センターは、津波がひいた後に避難者が暮らす拠点避難所として整備されていましたが、市は避難訓練で同センターを避難先にしていました。海から約1・5キロ離れ、明治三陸地震(1896年)、昭和三陸地震(1933年)などを基に、県が最悪の事態を予測して策定した津波浸水予想範囲の外にあったということです。

ここには200人の人が集まったそうです。2階の天井付近まで生波がおしよせ、生存が確認されたのは約25人ということでした。私も来たのは2回目ですが、その時の惨劇を思うと足が震えました。

*詳しくはこちらの記事をご覧ください(2011年3月24日14時54分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110324-OYT1T00651.htm

防災センター 入口 防災センター 祈る 防災センター 藤井さん

取り壊しも決まったそうです。建物があることで、その建物に残った津波の傷跡から伝えることができる教訓もあると思うのですが、そこで大事な人を失った人たちの気持ちを思うと難しい問題です。

防災センター 外 釜石の町並み

鵜住居地区には駅もあり、この防災センターのまわりにも民家や飲食店が並んでいたそうです。周囲の建物はほとんど取り壊され、片づけられ土台が残されるのみになっていました。ひとつひとつの建物があった場所に普通の生活があったはず、津波が来た時、そこの人々はどうしたのだろうか、今どうしているのだろうかと思うと、何ともいえません。

大槌町にも向かいました。大槌町は、町役場も津波にあい、被災地の中では唯一首長である町長さんが亡くなった町です。火災も発生したそうです。震災後1カ月後に被災地に視察へ行ったあおぞら財団の職員が、まだその火災の跡が残っていたと話していました。

大槌町役場

大槌視察

宿泊場所の宝来館に到着。その後も研修は続きます。
まずはホールで、伊藤聡さんよりお話がありました。伊藤さんは三陸ひとつなぎ自然学校のスタッフですが、宝来館の番頭もしています。津波が来たときの宝来館の様子、避難所としての使われ方などをお話がありました。

宝来館 番頭伊藤

つぎに『NPO法人 ねおす』のボランティアスタッフ、もんじぃさんより、翌日のボランティア活動について説明がありました。

宝来館もんじぃ

宝来館 もんじぃ語録

NPO法人 ねおす』は北海道のNPOです。自然体験型環境教育を旗印に揚げ、交流と学びを目的にした「エコツーリズム」の企画運営などを行っています。スタッフの柏崎未来さんが釜石市出身で、自宅も津波の被害を受けたこともあり、震災直後から、釜石に拠点をつくり支援活動をしています。

そしてスペシャルゲストとして、バイオディーゼルアドベンチャーの山田周生さん(HPはこちら)にもお話して頂きました。山田さんは、震災時、たまたま東北におり、そのまま被災地支援の活動を続けています。バイオディーゼルの精製機を搭載した山田さんは、燃料不足の中、物資や人を運搬するなど活躍をしていました。

宝来館 周生

最後に、宝来館女将、岩崎昭子さんから挨拶がありました。
実は、この日はおかみの誕生日。花束を贈り、みんなでハッピバースデーを歌いお祝いしました。

宝来館 おかみと相澤 宝来館 誕生日歌う

午後5時、長かった1日目の研修が終わりました。
宝来館の温泉につかり海の幸がふんだんに使われた美味しい夕食を頂きました。

宝来館 夕食

宝来館 夕食 周生

おまけ:夕食後、おかみがなんとケーキを1人1人に用意してくれました。多くの人に花束で祝ってもらったのがとてもうれしかったとのことです。

宝来館ケーキ

宝来館 おかみ

ごちそうさまでした。おかみさん、無理せずお体を気をつけて新たな1年、がんばってください。

(小平)

※本事業は三菱商事復興支援財団の助成を受けて活動しています。

Filed under: イベント報告・ホームページ更新 | 東日本大震災支援 | 環境フロンティア講座 — aozorafoundation 公開日 2012/07/04(水) 03:19
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