3月11日(金)午後1時に、近畿弁護士連合の司法修習生5名、引率者1名(コロナの関係でネット参加者5名)、あおぞら財団スタッフ2名が、集合場所出来島駅から、西南方向に歩いて街を見学しました。国道43号で折り返し、出来島・大和田地域を歩き、緑陰道路で歴史の解説を開いてあおぞらビルに到着しました。
まずは西淀川大気汚染の原因の一つとなった大型車が多く走る国道43号沿道に行きました。途中で西淀川区の電信柱でよく見られる海抜標高0mの表示を見ながら、あおぞら財団の藤江さんが海抜が低い西淀川区での堤防や防災施設の重要性を解説してくれました。国道43号近くに大気質測定装置が設置されています。近年、流入車規制の施行や5号湾岸線の開設・誘導によって、大型車走行量は減ってきており、居住地付近のPM2.5濃度も減少する傾向が見られます。さらに防音壁や空気を浄化する光触媒塗装が設置されています。排気ガスに苦しめられた公害訴訟当時と比べると、現在我々が生きている環境ははるかに良くなっているが、歴史の教訓は忘れるべからず、環境の大切さは常に頭に入れるべきではないかと思います。
次に、地域すべての住民がより良く暮らせるよう旨とする高齢者介護施設あおぞら苑が紹介された後、神崎川の様子を見に行きました。昔神崎川沿岸に工場がたくさん稼働していた、そのため水質汚染も深刻でした。今は表面の汚染はなくなりましたが、川底に沈殿した汚染物質を浄化するまで、まだ課題はたくさんあります。
そしてドブ川から再生してきた大野川緑陰道路に足を踏み入れました。地域の舟運や治水に利用された大野川は、工場排水によって河川の汚濁が目立つようになり、環境改善として1970年代頭くらいに埋め立てられました。埋め立て前に大阪市は跡地に高架道路を建設する計画を発表しましたが、公害に苦しめられた西淀川区民に反対され、最終緑陰道路が造られたと藤江さんが紹介してくれました。
「なんかちょっと実感ないですね」、「50年くらい前の話ですからね」、「だから実際のところを見て回ることは大事ですね」などと修習生が感嘆しました。
しばらく歩いてあおぞらビルにつきました。5階の資料館で、休憩しながら公害訴訟の記録資料とあおぞら財団設立経緯をビデオで見ました。
そして、3階のグリーンルームで公害被害者岩本さん自身の公害病の話を聞きました。ぜん息が起こった夜の咳き込み、続発症である中耳炎による聴覚障害、大気公害の公害者はずっとこのような病魔と闘って続いているほか、公害患者に対する世間の偏見は、知らず知らずのうちに彼らの心にもより孤独の色をかけてしまいました。
心を打たれる修習生たちから、被害の現場・被害者の立場から物事を考えることが大事だ、などの感想が寄せられました。それに対して、岩本さんが「是非、良い法律家になってください」と励ましの言葉をかけました。
人間社会の発展とともに公害はだんだん減っていくかも知れないが、新たな課題や紛争は現れ続けています。現場・被害者の状況を十分考える上で、自分の心にある天秤に従い判断を下すのは、「良い法律家」の基本じゃないかと思います。
王 子常(あおぞら財団アルバイト)