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ブログカテゴリー » 西淀川公害がわかる資料集をつくろう

エコミューズ館長日記 No.2

今日は8月8日。2日前は広島の平和祈念式典、明日は長崎の平和祈念式典。
それぞれ79年の年月を経て、今もって核の脅威から安心がもたらされていない。
公害問題も長い被害の歴史を持っていることを思う。

今日は思いもよらぬ白神加奈子さんの訪問を受けた。
うれしくなって資料集作成の経緯から現状まで話をし、作業が終わっている部分について資料本文を見てもらった。
公害資料館ネットワークの資料部会の在り方に問題提起できたらと考えている、とも説明した。
白神さんが出来上がった資料の本文をご覧になって、よくわかるとおっしゃってくれたので、うれしくなって大きく構えてみたのである。

今日は資料集第2章最後の資料候補であった1970年度の「公害対策研究指定校 研究発表紀要 大阪市立出来島小学校」の報告書をまとめることができた。
原文は横書きだったのを縦書きに改めるために、ミナコさんは四苦八苦してくれた。
ここまでで74ページ分となることが計算できた。予定通りの進行である。
なるほどシンプルな資料集になってきそうな感が強まってきた。

2024.8.8 小田康徳

———————–
あおぞら財団付属 西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)では、西淀川公害がわかる資料集を作成しようと、ほぼ毎週、小田康徳館長が来館し、調査作業を進めています。そのようすを「エコミューズ館長日記」にてお届けします。

【ご寄附のお願い】「西淀川公害がわかる資料集」のための寄附を募集しています。どうぞみなさまの寄附でこの活動を支えていただきますようお願いいたします。
■寄附の方法はこちら https://www.aozora.or.jp/ecomuse/contibution_doner

※資料集のウェブ版作成には、(独法)環境再生保全機構地球環境基金助成金を活用しています。

#おもろいわ西淀川
#にしよど
#魅力発信サポーター
#エコミューズ
#西淀川公害がわかる資料集

エコミューズ館長日記  No.1

今日から原則として毎週あおぞら財団での調査が終わったら、調査内容について感想を述べていくこととなった。

題して「エコミューズ館長日記」!さあ始まるよ!

今日は、作成中の資料集第2章「公害と闘う意識の形成」第3に入れる「教師たちの取り組み」記録の中から、翻刻候補を3点に絞った。
①市教組西大阪支部福小分会編の「公害白書」、②福小学校飯田素明先生の「道徳指導において基本的人権を尊重するために、内容の重点的取り扱いをどうすればよいか。」(長い題だなぁ…)、③「昭和45年度 公害対策研究指定校研究発表紀要 (出来島小)」の3点に決めた。

他にも6件あったが、割愛した。しかも、最後の1件③は全文引用できず、そのうちの一部にとどめた。
せっかくの先生方の活動記録を全文載せられなくて申し訳ないが、お許しあれ。後日には電子版で紹介する予定。

この選択作業は実は大変。
掲載しない資料も、掲載資料の中から省略する資料も全部目を通して、重要性・代表性等を評価して選んでいるのです。

資料集第1章、第2章がこれで形が見えてきました。
読んでみれば西淀川公害の歴史を思い出す、またとない読み物になっているように思うのは私1人ではないでしょう。
これからまだまだこのような作業が続きます。
頑張らなくっちゃ。

翻刻作業は4月に大阪公立大学文学研究科に入学したはりきり女性・ミナコさんを中心に、何人かのアルバイト諸君に作ってもらうことになっています。ありがとうございます。お世話になります。
皆さんのプロフィールは今後追々紹介していくつもりです。

2024年8月5日   小田康徳

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あおぞら財団付属 西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)では、西淀川公害がわかる資料集を作成しようと、ほぼ毎週、小田康徳館長が来館し、調査作業を進めています。そのようすを「エコミューズ館長日記」にてお届けします。

【ご寄附のお願い】「西淀川公害がわかる資料集」のための寄附を募集しています。どうぞみなさまの寄附でこの活動を支えていただきますようお願いいたします。
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※資料集のウェブ版作成には、(独法)環境再生保全機構地球環境基金助成金を活用しています。

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エコミューズ所蔵資料の勉強会(7/22)

7月22日(月)に、西淀川・公害と環境資料館エコミューズでは、対面・オンラインを活用して定例会議と資料勉強会を行いました。

今回の勉強会では、戦前・戦中から高度経済成長期までの期間に撮影された写真と、1980年に行われた公害の聞き取り調査に関する資料について、小田館長にお話しいただき勉強しました。当時の写真を見てみると、工業化が進む中で、地盤沈下の被害や黒々とした大量の煙を見ることができ、公害の被害をより具体的に感じることができました。また、聞き取り調査の資料では、当時の方の経験に基づいた語りを残す資料として貴重なものであり、読み進めるなかで公害が市民に与えた被害の重大さを感じました。(スタッフ大島)

 

 

西淀川公害=資料の紹介(7)西淀川公害患者と家族の会が裁判提訴を決断

※機関誌りべらで連載をしている所蔵資料紹介コーナーの転載記事です(りべら164号より転載)。

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西淀川公害患者と家族の会が裁判提訴を決断

掲載の資料は西淀川公害患者と家族の会(以下西淀川患者会と略す)が編集・発行していた『青空』No25の第1面である。発行日は1977年12月9日。78年4月20日の提訴まであと5ヶ月すこしという時期のことであった。紙面は、西淀川患者会が正式に定期総会(第6回)で裁判提訴を決めたことを報じ、また、残る紙面のほとんどもその関係記事で埋めている。大気汚染公害をめぐっていよいよ真剣勝負、重大な決断を下したという昂揚感と緊張感を感じさせながら、妙に落ち着いた感もうかがわれる。

ちなみに、裁判提訴については1977年夏から秋頃にかけて弁護士たちもその決意を強固にし、裁判になった場合の論点の整理、賠償額、医師会や弁護士仲間に対する弁護団への支援要請、学者・専門家への協力依頼などにも力を注ぎ始めていた。

振り返れば、西淀川患者会は、1972年10月29日、大気汚染による健康被害に苦しむ区内の公害患者自らが公害による大気汚染の解消、被害者に対する充分な補償の実現を求めて結成されたものである。この会が裁判を提訴するについては、結成されたこの年7月に判決が言い渡された四日市公害裁判に励まされたことを知っておかねばならない。四日市裁判の判決内容を検討する中、その内容が西淀川でも問題解決の水準となると考えられた。そこから西淀川でも裁判ができないかという意見と模索が始まったのである。相談を受けた弁護士たちも、青年法律家協会のメンバーを中心に西淀川大気汚染問題研究会を組織し、その意義と可能性また、克服すべき課題など種々の課題を検討し、被害の事実を知っていくこととなる。

この過程でこうした検討を行なっている人びとの正面に現れ、患者さんたちやその支援者の怒りをもたらした問題が政府と財界による窒素酸化物の環境基準緩和への動きであり、地域指定解除の動きであった。裁判はそうした公害問題の後退をめざす動きとの対決という課題も自ら背負いながら始められていくのである。1978年4月20日の提訴に至る道は、まさに、厳しい道への突入を決断する過程であったことを思う。

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(資料はエコミューズ所蔵『青空』)

エコミューズ館長 小田康徳

西淀川公害=資料の紹介(6)はじめて西淀川区民の健康被害を本格報道

※機関誌りべらで連載をしている所蔵資料紹介コーナーの転載記事です(りべら163号より転載)。

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ここに紹介する新聞記事は、『大阪新聞』1967年(昭和42)9月6日付。公害による西淀川区民の健康被害を報道したもっとも早い時期の記事と考えられる。この年4月に西淀中学校に赴任してきた荒木芳太郎校長は、学校の鉄板をボロボロに腐食させている大気汚染に驚き、各種の調査を行なった。そのなかに新聞などのスクラップ集があったが、この記事は、その中に綴じられていたものである。

319_148_〔大阪新聞切抜〕「よそごとでない大阪の空~~」_page-0001

西淀中学校資料NO.148
昭和42年9月6日付 大阪新聞

記事は「よそごとでない 大阪の空」と見出しが打たれている。それは、この年9月に四日市ゼンソクで知られる四日市公害の被害者が裁判に訴えたことを知った記者が西淀川区の状況を改めて取材した成果であった。

「うちの学校では生徒に深呼吸をさせられない。深呼吸すれば、ゴミとばい煙を吸わせるからだ」というのが秋元実保健主事の話を聞いた上での記事の書き出しであった。この話に続いては、幼児期にゼンソクで苦しみ、やせ細っていくばかりであった体験を持つ中学1年生の不安、胸部の精密検査を必要とする生徒が増える一方の状況、市内平均よりもうんと狭い平均胸囲、60パーセントがばい煙によるとみられる慢性結膜炎の広がり、昨年から自衛手段として虚弱児クラスを編成したことなど、そのすさまじさが次々と記されていく。

さらに汚染は、香簔地区における電気炉操業に伴う煙害、酉島地区の真っ黒いススの降下などが記され、大和田小学校付近における亜硫酸ガスの濃度0.83PPMを超える汚染の記録、それに車の排気ガスなどがあり、通行中に昏倒した市民が出たとか、吐き気で真っ青になった児童の例などが紹介されている。

スクラップされた新聞の中からは、このような記事が出始めるとともに、西淀川区内の学校関係者からは、先に挙げた荒木校長とか、秋元実保健主事など、自覚的な人物が出始めてくる。公害を仕方がないとあきらめるのでなく、立ち向かおうとする人物と世論が形成され始めたのである。西淀川公害も、ようやく市民が活動する時期に入っていく。

エコミューズ館長 小田康徳

 

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