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佃中学校フードマイレージゲーム


2009年3月5日木曜日、佃中学校でフードマイレージゲームが行われました。フードマイレージゲームをしたのは、佃中学校2年生の130人!!とても多い人数です。
あらかじめ、1クラスずつ8班に分けていただき、さらに現代と1970年代チーム・春夏秋冬に分かれました。

まずは先生から、ゲームについての説明です。
みんな真剣に聞いていました。


続いてカードが配られると、教室は一気に賑やかに。
班ごとに、楽しそうにメニューを決めていました。
 

メニューが決まり、次は体育館に4クラスが集まり、フードマイレージについて説明です。

少し難しい内容だったのか、眠そうな子がちらほらいましたが、星の数を数える場面になるとみんな元気に。
星の多さに、「勝った」「負けた」の声も聞こえてきました。

各班の星の数を担任の先生に書いてもらい…

全ての班の星の数が出揃いました。

一番少なかったのは、5個で2年2組1班。メニューは親子丼でした。
一番多かったのは、66個で2年4組8班でした。メニューはカレーライスとオレンジでした。オレンジを海外から輸入しているため、星の数が多くなった様でした。

佃中学校2年生の皆さんは、来年度、修学旅行でファームスティを体験します。今回のフードマイレージゲームが、食と地球環境の関係を考えるきっかけとなり、修学旅行がより良いものになっていただければと思います。

(中原佳穂)




Filed under: 環境学習 | フードマイレージ — aozorafoundation 公開日 2009/03/09(月) 17:13

日本福祉大学 牧洋子ゼミナールの方々が来館されました。


 2009年2月24日火曜日、名古屋より日本福祉大学、牧洋子教授とゼミ生10名が、「西淀川における公害地域再生活動」の見学に来ました。

*公害の現場を歩く
 13時に阪神出来島駅に集合し、出来島小学校→国道43号線→千北診療所の順で公害現場を歩きました。その後、あおぞら苑を訪れ、高齢者の方と交流し、再び大野川緑陰道路の公害の現場を歩き、あおぞら財団へ到着しました。



*公害患者さんの話を聞く
 あおぞら財団に到着後、牧ゼミナールの皆さんは、あおぞらビル5階にあるエコミューズに来館されました。
 エコミューズでは公害訴訟のビデオやあおぞら財団についての説明を受けた後、実際に公害の被害を受けられた、公害患者の岡崎久女さん・永野千代子さんのお話を聞きました。
 お二人のお話は、夜中に喘息がでて病院に運ばれたことや、電車に乗るなどの日常生活もままならない苦しさなど、とてもリアルなものでした。そして、公害問題はまだまだ続いて、いつまでも終わらないことを実感しました。

 お話を聞いた後の質問会では、ゼミ生の皆さんから「これから僕達は何をしたらいいのか?」「公害を知らない人にどう伝えていけばいいのか?」など、今回の体験をどう将来につなげていけばいいのかという質問が出ました。また、「実際に話を聞いて本当に喘息が辛いことがわかった」「事前学習もしてきたが、今回実際に公害の現場を歩き、公害患者さんの話を聞けたことが本当に良かった」など、実際に公害問題と触れ合えたことが、ゼミ生の皆さんとって何よりの勉強になった様でした。
(中原佳穂)




Filed under: 資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2009/03/03(火) 17:17

西淀中学校 職場体験


2009年2月18日〜2月20日  西淀中学校 職場体験

今年も、西淀中学校から4人の生徒があおぞら財団に職場体験に来ました。
3日間に渡り、ニュースレターファイルの整理や、郵送作業など様々な面で財団の活動を体験してもらいました。3日目には、財団や西淀川公害について学習してもらうために、西淀川公害展示パネル(あおぞらビル5階にあります)や、ビデオ「手渡したいのは青い空 〜未来からのメッセージ〜」を見てもらいました。


その上で、職場での体験も踏まえて、4人の生徒に感想文を書いてもらいました。

「あおぞら財団」
池川悠

あおぞら財団ができたのはいろんな人たちのおかげということを知った。
1930年ごろから、高度経済成長期にはいり、いろんなことが便利になったが、その反面人々が苦しまなければならないということが起きた。とくに、西淀川区はとてもひどく、昼でも真っ暗ということがあったり、ぜん息という病気のようなものになったりと、西淀川住民を苦しめ続けてついに西淀川で患者会が誕生した。
1970年には、西淀川区が大阪市で唯一の公害指定地域となり、公害病と認定され西淀川区医師会は西淀川区医師会立公害検査センターをつくった。そして、西淀川区に訪れたジャーナリストなども西淀川区の公害を多く伝えていき、その後も社会の矛盾点を市民の立場からひろめていった。
ついに西淀川住民の人々は、企業や国に対して裁判を行った。このことを支えたのは弁護士たちだった。しかし資料が乏しく、立証も難しく、勝訴の見込みがないと思われました。
しかし、患者や弁護士たちが、公害病の苦しみと裁判への支援を訴えて、全国から130万筆を超える署名を集め、20年もかけてついに裁判に勝利しました。そしてその和解金の1部であおぞら財団がつくられました。
21世紀に生きる僕たちが今しなければいけないことは、昔のことを知り、未来に生きる子どもたちがいい環境で暮らすためにもCO2などを減らすことだと思います。

「公害のことを聞いて」
池野 裕悟

最初、初めてこの「あおぞら財団」にあいさつに行き、西淀川区の空気がよごれているのを知ったが、展示を見て、大阪の大阪湾の奥の区域のほとんどが工場で、西淀川区の隣にある此花区や尼崎市なども、ふくめた阪神工業地帯の出すガスや、道路が大阪には、多いので、そこを通る車の排出するガスなどが、大阪府全体の空気を汚して、公害での病気にかかった人が今も苦しんでいるのを知りました。その他にも、ビデオを見て、十年前よりもその病気になっている人が増え続けているのもしりました。
だけど、「それじゃだめだ。」と思った人たちが立ち上がった事には少しほっとしました。その人たちは、工場や道路の企業に、勝つのは難しい裁判をして、その他にも、公害患者の運動などをして、裁判は二十年にも渡り続けて、最終的に、公害患者の人たちの要望が通り、裁判に勝ったところが、自分は一番印象に強く残りました。もしも、自分が公害患者としたら、自分もその運動に参加したと思うからです。
でも、今の大阪だけでなく、日本全体の空気が汚れてきていることも知りました。自分は、「今は大丈夫。」「今は空はきれいじゃん。」と思ってきました。だけど、今のままでは、もっと空気や空が汚れてきて、「自分の未来はどうなるんやろ。」と思ったが、ごちゃごちゃ考えてもしょうがないし、「自分の未来は、自分でどうにかしろ。」と思った。
だから、自分は今、知れてよかったと思い、今からだったら、間に合うと思い、自分はこのことを広めて、皆に知ってほしいと思い、大人になってもそのことを忘れずに、自分で、できることを少しずつでいいから、今からやっていこうと思った。

「あおぞら財団で学習した感想」
福原旺達
ビデオを見て感じたことは西淀川区は空気が汚かったんだなと思った。
小学校の時に公害のことを少し習ったが、公害名などを習っただけで西淀川区の昔のことは今日初めて知った。昔の、西淀川区の、立ち上がった人たちのプレートが僕は一番印象に残っている。裁判で二十年もかかったと聞いて政府の人たちは何をしているんだと思いました。工場のけむりでたくさんの人たちがいのちを失ったんだと言うことも今日初めて学んだ。 何年もかけて西淀川区をきれいにしたという理由で僕はこのプレートが一番印象に残った。西淀川区のことをもっと知りたいと思った。頑張ってこの町をきれいにしたんだなあーと思った。 あおぞら財団のことも今日初めて知った。よく、ビルの前を、通ったりするけどただのビルかと思っていた。だから初めてここに挨拶しに来たときに、「ああー、ここか」と思った。学校では教育、保育の場所のらんにあおぞら財団があったので保育所かなと思っていた。だから今日のビデオを見て驚きました。資料を見ていって僕たちが起こそうと思った行動は身近なエコかつどうなどをしたらいいと思った。今日、学んだ公害、公害をなくそうとした地域の人たち、あおぞら財団などのこと、公害の起こす病気のことなどを忘れないようにしたい。今は大丈夫だけどこの先はどうなるのか、等を考えると僕たちはこのように頑張っているあおぞら財団などのことを知っておかなければならないと思いました。                   「終」

「公害のことを学んで」
森山 直人

展示を見て分かった事は、西淀川区は大気汚染のせいで、人々の、病気や苦しみの連鎖で大変だったことが分かりました。
そのため、人々は、企業や国に、公害の責任を認めさせ、きれいな空気を取り戻すために、
西淀川の公害患者たちは、二十年の歳月をかけた裁判公害行政の後退を止めました。
とっても長い歳月をかけたんだと思いました。
裁判が終わっても、環境が改善されたとはいえず、道路公害は、未解決であり、子供のぜんそく患者たちは増える一方だそうです。
一番印象に残ったのは、病気や苦しみの連鎖です。病気のせいで、仕事ができない・学校に行けない・食事や
入浴が困難・のけ者と呼ばれるなどいろいろなことに、苦しむ人々がいる。と言う事が一番印象に残りました。いろいろな事があったというのが、あおぞら財団で分かりました。
これからは、使った油を持っていって、車をその油で動かすなどいろいろな事をしていきたいと思いました。
あおぞら財団で、いろいろなことを学んでためになったな。と思い、今後も環境のことについて、どんどん考えていったり、行動をおこしていきたいな。と思いました。


Filed under: 事務局 | 職場体験実習(中学生) | 資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2009/02/26(木) 11:08

平成20年度JICAヤングリーダー研修 あおぞら財団見学


平成20年度JICAヤングリーダー研修 あおぞら財団見学
2009年2月20日(金) 14:30〜16:30

 本日は当財団にスペイン語圏の諸外国からのお客様が来ました。
 グァテマラを始めとして、JICAに所属する各国環境局・NGOのヤングリーダー14人が当財団の見学と、公害患者さんのお話を聞きに来たのです。


 まずは、「公害」を知って頂くために、高度経済成長期の四大公害問題や、西淀川の公害問題、あおぞら財団などについてパワーポイントを通して説明しました。続けて、当時の阪神工業地帯の様子や西淀川公害の被害者・裁判原告団の証言をまとめたDVD「西淀川公害裁判を闘う」「公害経験を語りつぐ」を放映しました。

 ヤングリーダーの方達は熱心に耳を傾け、中にはDVDの放映の際にプロジェクターの前の床に座って見られる方もいて、この公害問題が参加した方々にとっていかに深刻な課題であるかを教えられたような気がしました。

 次に、西淀川公害の公害患者である豊田鈴子さん(下写真中央)から、当時の西淀川の様子、自身で体験された公害の「被害」、そして公害裁判に臨んだ心境などについて直接お話を伺いました。


「(喘息からの)発作はひどくて一日に2〜4回出る」
「死んでしまったらどれ程楽な事か」
など、豊田さんが涙ながらに語った公害被害の実態に、参加したヤングリーダーの人にも涙を流される方がいました。

 豊田さんのお話の次にあおぞら財団の藤江さんによる、財団の活動報告と、西淀川患者会の永野さんによる西淀川公害の反対運動に対する説明が行われました。


 最後の質疑応答においては、参加者から「豊田さんの今の病状は?」「患者会の結成は西淀川住民の人々によるものか?」など意欲的な質問が多く出ました。中には「私の国では内戦によってリーダーが殺される場合もある。その為、活動方針が定まりにくい」と発言したNGOの方もいて、環境問題対策が「良い」からどの国でも即座に適用・実現していくのではなく、その国の利害・思想などが強く影響するものである事を改めて痛感しました。

 最後は全員で記念撮影をして今回のJICAヤングリーダー研修見学会を終えました。





Filed under: 国際交流 — aozorafoundation 公開日 2009/02/26(木) 10:15

もりもとまきのアーキビストの目 No.5

海の向こうの公害地域 -この目で確かめに-
資料館だより22号、2009/01)
紹介資料:「公害輸出監視日本法律家委員会東南アジア環境調査」写真資料(森脇君雄氏資料)

エコミューズでは、海外の公害地域のようすを伝える、多くの写真資料も所蔵しています。たとえば、1990年4月、公害輸出監視日本法律家委員会の「東南アジア環境調査」に参加した森脇君雄氏(当時全国公害患者の会連合会事務局長、現あおぞら財団理事長)が、インドネシアやマレーシアを訪れた際の行程を記録した写真約400枚があります。現地では当時、日本企業が出資している工場が原因で、多くの人々が公害病で苦しんでいました。調査団の目的は、その実態調査と被害者との交流でした。

公害患者の少女にお土産を手渡す森脇君雄氏 公害患者の少女にお土産を手渡す森脇君雄氏 

インドネシアでは、工場からジャカルタ湾に、水銀や鉛が垂れ流されていました。写真は、汚濁した海面や公害病に苦しむ患者のようすなどをとらえています。マレーシアでは、ブキメラという村で、工場が発ガン性物質をずさんに取り扱っていました。病気を恐れた住民が逃げ出し閑散とした街や、その物質が原因とみられる白血病に侵された少女の姿が残されています。この村では調査団の歓迎集会が開かれ、森脇氏は「公害の被害者を二度と出さないため日本からやってきました。連帯して戦おう」と呼びかけました。大きな会場を埋め尽くす地元住民のようすからは、その熱気が伝わってきます。

これらの写真は、公害がもたらす苦しみや立ち向かう勇気を、国境を越えて分かち合う過程をとらえた貴重なもの。後世に残していきたい、大切な資料です。

☆『資料館だより』第22号はこちら

(もりもとまき・エコミューズ資料整理スタッフ)

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