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大阪大学未来共生イノベーター博士課程の皆さんから感想が届きました

5/30、6/13と、大阪大学未来共生イノベーター博士課程プログラムの授業をあおぞら財団がお手伝いしました。その折の詳細な感想が届きましたので、授業の内容とあわせてご紹介します。

この授業を履修しているのは、人間科学研究科や言語文化研究科、医学系や法学系など、さまざまな研究をしている学生さん15人。中には、韓国や上海からの留学生の方たちもいて、育ってきた環境もまちまちです。

2日間のプログラムは、まず5/30、阪大豊中キャンパスにて。石塚裕子特任助教から都市計画・まちづくりにおける事前調査・現地踏査、合意形成の概要についてのレクチャーがあり、続いて財団の林から西淀川公害について講義を行いました。
語り部のお話を聞いてもらう前に林から「ここまでは客観的な話。いまから公害患者の語り部さんが話してくださいますが、当事者として非常にしんどかったお話をわざわざ思い出してしていただくということをよく考えて聞いてほしい」と注意喚起がなされました。

用意されてきた原稿を元に話す山下さん(右)

用意されてきた原稿を元に話す山下さん(右)

今回、お話いただいたのは、山下明さんです。

山下さんは1945年生まれ。1968年頃から建設工事現場で基礎杭をを打ち込む大型クレーン機の操作に従事されていました。責任感の強い山下さんは、自分が休むと工事が遅れてしまうと、発作で睡眠不足の日にも無理をして仕事に行かれていました。
この日の会場となった豊中市周辺のニュータウン建設は70年代に盛んでしたが、山下さんも当時、このあたりの工事に来ておられたそうです。
山下さんは2級の認定患者。一般の半分しか働けないといわれる状態ですが、定年退職後も去年まで働き続けておられました。これからは、語り部の活動にも積極的に取り組もうと考えておられるとのことです。

お話を受け、たくさんの質問が出ました。山下さんから、当時、洗濯物は干していたら茶色に、窓を開けていれば畳がざらざらになって足の裏が真っ黒になったというお話を紹介されましたが、上海からの留学生は「今の上海は窓を開けていたら蒲団が黒くなる」と紹介してくれました。
何人かの学生から、小さい頃喘息の症状があったことが話されましたが、この日同席されていた志水宏吉教授も西宮で小児喘息だったとのこと。「公害」という認識はなかったけれど、影響があったのだろうとお話されていました。

休憩後はワークショップです。

今回の2日間のプログラムの目的は、西淀川地域を取り上げ、多様なステークホルダーから学び、将来に向けたまちづくりについて自ら考えることです。実際にまちづくりを行う際、集まった多様なステークホルダーで合意形成をしていくのは非常に難しい作業ですが、学生たちにはその疑似体験としてワークに取り組んでもらいました。
大気汚染物質(NOx)排出を削減するための政策提言(解決策)についての9つの案について、まず一人で優先順位を考えた後、6人のグループ内で合意形成をし、ダイヤモンドランキングに並べました。

実際に西淀川に住んでいるわけではない学生同士の話し合いながら、合意形成に至るまで、各グループとても活発に話し合いが行われていました。
3つのグループの発表を聞いて、最後に山下さんからコメントをもらい、この日の授業は終わりました。

6/13の西淀川フィールドワークはあいにくの雨で、バスの中からの見学になりました。
あおぞら財団に戻った後、西淀川区役所工業・商業活性化チームの篠原さんから、西淀川区の工業、商業の現状と課題について行政の立場からご報告がありました。

その後の「西淀川の将来像を考える」ワークショップでは、これまで得た情報をもとに、学生たち自身が「どんな社会にしたいか、私に何ができるのか」をテーマに話し合いました。

グループで「西淀川の将来像」を考える際に気になった意見をまとめます

グループで「西淀川の将来像」を考える際に気になった意見をまとめます

フィールドワーク中に撮った写真を使って西淀川の現状を確認しながら話し合い

フィールドワーク中に撮った写真を使って西淀川の現状を確認しながら話し合い

工場に支えられてきた西淀川ですが、最近マンションが増えています。住工の共生は課題です

工場に支えられてきた西淀川ですが、最近マンションが増えています。住工の共生は課題です

――

最後に、2日間の授業についての学生さんの感想を抜粋してご紹介します。

●社会科の授業で四台公害を知識としては知っていたが、そのときの裁判で解決したものだと思っていたために、公害が現在も続いている問題だということさえ知らなかった。
●教科書には原因と症状と死亡者の数が書いてあっただけで、公害病にあった人たちの生活や公害病をなくすための努力などは無論載っていなかったし、先生もそこまでは教えてくれなかった。だから今回実際の被害者の話を聞いて、衝撃は大きかった。
今回の授業で聞いて、感じたことを広げようと思う。被害者の話を聞く前の私みたいに何も感じずにいる人たちに伝えたい。私も私なりの方法で青い空を守りたい!
●公害による病気が苦しみの連鎖を引き起こすという視点は、恥ずかしながらこれまで持ち合わせていなかった。病気になれば仕事ができない、収入が減る。しかし病院には行かなければならない、医療費がかかる、と同時に公害病への無理解や家族との関係悪化も引き起こしかねない。・・・
●山下さんが、確か、美しい空を子供たちのために取り戻すため、力を貸してください、と最後に言われました。山下さんのことばは、ふしぎな重さを持ってわたしのみぞおちのあたりに吸い込まれてゆきました。ほんのわずかな時間、お話を聞かせていただいただけですが、次のことだけはお答えできると思います。自分を部外者にしないこと。無関係な話だとみなさないこと。ごまかすための言葉遣いを身に着けないこと。経緯をよく知ること。そして、第二の「西淀川」が自分の隣で起きているのではないか、耳を澄ませておくこと。答えになっているかどうかわかりませんが、これらのことが、いま私が応答できることです。
●「工場やってる人も働き手が足らなくて仕方なく朝とか夜まで工場を動かしてるんだよ」。授業が終わって、僕の質問に対して山下さんが言った。私は今まですっかり忘れていた事実に思い当たった。それは工場で煙を排出している人も被害者であるという事実である。例えば工場を沿岸部に移せばいいという意見は、工場で働く人の視点抜きでは語れないはずだし、そのことに気付かないと新たな悲劇を生むだけだろう。僕らは気付かなくても山下さんはしっかり知っている。山下さんは裁判の原告の一人になったにもかかわらず「加害者」となってしまった人たちのことも冷静に斟酌している。そこに僕は山下さんのただならぬ覚悟を感じた。

●ワークショップでは、合意形成の難しさを実感した。私たちはどうしても第三者の視点から考えがちであったこと、また全員同じ未来共生イノベーター博士課程のメンバーで考え方が似ているのに、それぞれの考えの擦り合わせが大変だった。公害の被害を受けている地域住民、企業、国や府や市の行政主体といったまったく異なる利益を持つステークホルダーの間での合意形成はいかに難しいのか、ということを実感させられた。
●授業後半での多数決はNGの合意形成では、私たちのグループは極端に意見が分かれることはなかったものの、普段私たちがいかに『多数決』つまりマジョリティ中心の社会構成にさらされているかに気づかされ、ハッとした。

●私はこれまで自分の分野で「現場」に足を運ぶことを大事にしてきた。現場に行くと、見えてこなかった部分や考えもしなかった発見に出会えるからだ。そして今、「政策」を専門に勉強している。いわば「現場」から遠い部分だ。しかし、私は「現場」と「政策」がよりよくつながるように努力をしていきたい。今回の西淀川の事例はそれをよく考えさせてくれるものであったと感じている。充実した有意義な時間をすごせてよかった。

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,視察受入,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2014年7月23日5:25 PM

対話の重要性を学ぶ IATSSフォーラム受入(6/16~18)後編

引き続き、IATSSフォーラム受入の後半をご報告します。
前編の記事はこちら

2日目の昼食は「大阪ハラールレストラン」でリラックス!

2日目の昼食は「大阪ハラールレストラン」でリラックス!

2日目は座学を離れ、終日、西淀川のフィールドワークです。
午前中は、企業訪問。今回は、中島工業団地の中にある(株)山崎シャーリングを訪問しました。
あおぞら財団の理事も務めていただいている会長の山崎光信さんに、創業当初から現在にいたるまでのお話を伺いました。

奥の中央が山崎光信さん

奥の中央が山崎光信さん

1965年の創業時のシャーリング・マシーンは鉄板を大きなハサミで切るようなもので、ガシャーンガシャーンと大きな音がしました。その頃、工場は住宅街である歌島にあったため苦情が出たため、工業団地として整備されつつあった中島に移転しました。
しかし中島でも別の問題が発生。当時、大きなトラックが三角州である中島地域に入ってくる道は堤防沿いの一本しかなく、たくさんのトラックが走ることで堤防の壊れることを懸念した住民から反対の声があがりました。住民と話し合いを重ね、府市へ働きかけ、10年かけて堤防を頑丈にすることと、新たに橋を架けることを実現しました。
住民との対話を続けてきた山崎さんは、研修生のみなさんにご自身の経験を次のように語ってくださいました。
「企業側は利潤を追求する。安くしないと競争できない。50年前は『そこで働いて食べているんだから仕方がない』と思っていた。けれどがまんしていると下手をするとみんな死んでしまう。空気や水をきれいにする装置をつけるとコストは高くなるけれど、みんな同じ条件。他のことでコストを下げる努力をすればいい」

工場内を見学。現在はレーザーで切断するため騒音は減りました。

工場内を見学。現在はレーザーで切断するため騒音は減りました。

昼食の後は国道43号線で国土交通省大阪国道事務所のみなさんから道路対策のお話を伺い、その後、デイサービスセンター「あおぞら苑」を見学しました。

トラックの行きかう国道43号線の横で対策を聞きます

トラックの行きかう国道43号線の横で対策を聞きます

「40年前、西淀川でがんばったみなさんに恩返ししたい」と語る施設長の辰巳さんにたくさんの質問が出ました

「40年前、西淀川でがんばったみなさんに恩返ししたい」と語る施設長の辰巳さんにたくさんの質問が出ました

盛りだくさんな2日目の最後は西淀川高校訪問です。
西淀川高校のエコ・コミュニケーション部(愛称:エコ部)のみなさんから、日々の清掃活動や菜の花プロジェクトの活動報告がありました。
研修生からは「私がみなさんの年頃には、環境問題を知らなかった。すばらしい活動だと思う。自分の国でも伝えたい」といった感想が出されました。

報告してくれた4人のエコ部のみなさんと集合写真

報告してくれた4人のエコ部のみなさんと集合写真

3日目はまず、これまで2日間の学びをふりかえり、3つのグループにわかれてまとめ、発表してもらいました。
ちょうどこの日はあおぞら財団に歌島中学校の生徒さんたちが職場体験実習に訪れていたので、研修生のみなさんの発表を聞いてもらいました。(そのときの様子はこちら

それぞれの撮ってきた写真データを使ってパワーポイントでプレゼンをまとめます

それぞれの撮ってきた写真データを使ってパワーポイントでプレゼンをまとめます

どのグループでも注目されたのは、多様な世代、セクターの人々の対話と行動についてです。
高齢の公害患者さんが経験を若い世代に伝えていること、西淀川高校やあおぞら苑などで公害の知識が共有されていること、企業が住民と話し合い環境問題に取り組んでいること、国も技術力をもって公害対策に取り組んでいることなど、地域に関わる人々の気づきと努力によってまちづくりが行われていることが、発表の中で挙げられていました。

午後からは、各グループをひとつの国と想定して、持続可能な地域づくりについて考えました。

今度は模造紙にまとめていきます

今度は模造紙にまとめていきます

各グループの発表ごとに、質疑応答で話し合いが深められます

各グループの発表ごとに、質疑応答で話し合いが深められます

IATSSフォーラムではこの後、まだ約1ヶ月、学びを重ね、持続可能な地域づくりについての研究を深めるとのことでした(研修生のみなさんがフェイスブックでその様子を発信されています。ご関心のある方はコチラをご覧ください。ただし英語です)。
この日まとめられた3つのグループの成果と、西淀川での3日間を終えた研修生のみなさんの感想を最後にご紹介します。
研修生のみなさんがそれぞれの持ち場で活躍されることを願っています!

○研修を通じて印象に残っているのが、将来の子ども達へよりよいまちを手渡そうという、西淀川の人々の「情熱」だ。自分達の為だけでなく、将来の子供たちが安全で健康的な環境で過ごせるように、地域の清掃活動や、環境への意識を高める取り組みをしたり、公害患者だけでなくお年寄り皆がつながりを持って暮らせるように考えたりと、個人個人が地域への思いを行動に移し、地道な努力を続けていることが素晴らしかった。
○持続可能なまちづくりを実現するには、あらゆる立場の人の視点を入れることが必要。その為には「あおぞら財団」のような中間組織が、各関係者をつなぎ、話し合いの場を設けたり、意思決定や実施の過程でリーダーシップを取っていくことが大切だと感じた。
○西淀川での研修は、公害が環境や人々の生活に与える負の影響について学ぶことができ、私たち皆にとって非常に重要な研修になったと思う。公害は、短期的で視野の狭い考えに基づいた行動がきっかけで起きたことだと思う。ヤングリーダーとして、最初に間違った決断をすると、後で大きな負債を背負うことになるということ、それ故に長期的な視点に立ってバランスの取れた決断をすべきだということを学んだ。
○ASEAN諸国のような発展途上国にとって、環境問題は二の次にされてしまうが、西淀川研修を通して、日本に続くのではなく、日本の失敗から学び、同じ失敗を繰り返さないようにすべきだと感じた。

GroupA

GroupB

GroupC

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,国際交流,視察受入,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2014年7月14日7:11 PM

ASEANの若手リーダーが西淀川に! IATSSフォーラム受入(6/16~18)前編

6月16日~18日、ASEAN諸国の若手リーダー18人が、持続可能な地域づくりを考えるため、西淀川を訪れました。(公財)国際交通安全学会が運営する研修“IATSSフォーラム”の一環で、約2ヵ月のプログラムの内の3日間をあおぞら財団がお手伝いしました。

1日目 懇親会後の集合写真

1日目 懇親会後の集合写真

研修生の職業はバラエティーに富んでいました。環境学専攻の人や植物・バイオ会社勤務、旅行会社勤務や中には財務省の人など、まさに多様な参加者に対し、西淀川の地域再生に取り組む様々な立場の方のお話を聞いてほしいと、盛りだくさんな3日間となりました。

1日目は西淀川公害と地域再生の概要について説明。その後、公害患者さんの生の声を聞いてもらいました。

お話してくださる和田さんに一人ひとり、覚え立ての日本語で自己紹介

お話してくださる和田さんに一人ひとり、覚え立ての日本語で自己紹介

裁判が21年続いたという話を聞いて、研修生から「途中で無力感に陥ることはなかったですか?」という質問が。和田美頭子さんは患者会の仲間で支え合ったこと、中でもリーダーシップを発揮した女性たちに引っ張られて頑張ったことなどを話してくださいました。

午後からは公害裁判について村松理事長からの講義です。21年間にも及ぶ裁判の間に患者さんの約3分の1が亡くなられてしまったこと、アメリカでは患者自身が立ち上がれなくてもNGOなどが裁判に訴えることができることなど、日本では訴えた側に立証責任があるのに、原因企業が工場の煙の成分を公表しないなどの理由から裁判は非常に困難だったことなどが説明され、研修生は熱心に聞いていました。

その後、あおぞら財団周辺のフィールドワークを行った後、1日目のふりかえりを行いました。

研修生からは「感動した」「教訓を学んだ」「我々の国をどうやったら良くできるか、アイデアを学び参考になった」「住民が立ち上がって発言する大事さを学んだ」といった感想が語られました。

研修生たちには5月に来日する前に、自国の公害問題について調べてくることが課題として出されていました。そこで1日目の最後は4つのグループにわかれ、それぞれの国の公害・環境問題の現状を出し合った上で、市民の課題を話し合いました。

どのグループも活発に話し合います

どのグループも活発に話し合います

各国の公害問題を出し合いつつ、話し合いを進めます

各国の公害問題を出し合いつつ、話し合いを進めます

それぞれのグループから発表

それぞれのグループから発表

残念ながら、やはりどの国にもたくさんの課題がありました。大気汚染、水質汚染、ゴミ問題、土壌汚染・・・などなど。

ミャンマーの森林伐採の問題が報告された際には、IATSSフォーラムの藏藤所長から「その木材の多くが日本に輸入され、合板などにされて大量消費されていると思う。大変申し訳ない」とコメントがありました。
また今回、IATSSフォーラム事務局にあおぞら財団を推薦してくださった吉田長裕・大阪市立大学准教授からは、「公共交通など大きな問題の解決も大事だが、それは非常に時間がかかる。できるだけダイレクトに変えられる手段を使ったり、個人や地域の仕掛けで改善できることもあるので、引き続き学んでほしい」とコメントがありました。

1日目の研修はここでひとまず終了。夕方からは懇親会です!

ベジタリアンの方やイスラム教徒の方もおられますが、そこはあおぞら財団!いつも「あおぞら野菜市」に出店してくださっているカフェスロー大阪さんのオーガニック料理と、「あおぞらイコバ大和田でみせ」でご縁のできた大阪ハラールレストランさんのハラール料理をご用意しました。

豪華です!

豪華です!

配達してくれたハラールレストランのアバスィさん(右)と会話が弾みます

配達してくれたハラールレストランのアバスィさん(右)と会話が弾みます

英語の苦手な財団職員も食べ物の力を借りてなんとか交流、親睦を深めました。

2日目は終日、西淀川のフィールドワークです。続きは追ってご報告しますので、お楽しみに!

(栗本)

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,国際交流,未分類,視察受入 — aozorafoundation 公開日 2014年6月27日3:22 PM

西淀川高校 環境の授業であおぞら財団見学

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5月13日、大阪府立西淀川高校の生徒があおぞら財団の見学に来ました。
大野川緑陰道路の途中に、立ち寄ってくれました。
環境の授業を選択した西淀川高校の3年生7名と、先生2名です。
中には廃油キャンドルナイトの時にお手伝いをして財団を知っているという生徒も。
なぜあおぞら財団があるかや、西淀川高校生の菜の花プロジェクトを通じた活躍をお話しました。

(小平)

桜満開!淀川勤労者厚生協会の新人研修を実施(4/3)

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淀川勤労者厚生協会の新人研修を今年もあおぞら財団がお手伝いしました。
淀川勤労者厚生協会の運営する西淀病院、野里診療所、あおぞら薬局などは、地域の人々に頼りにされている医療機関です。そこで働く新人のみなさんに、西淀川のまちを知り、公害について学んでもらおうと、今年は午前中半日でフィールドワークと公害被害者のお話を聞くプログラムを組みました。

野里診療所の講義室で簡単に西淀川公害とフィールドワークの説明をしたら、さっそく屋外へ。
まずは歌島橋交差点にて道路公害の説明です。

説明をする後ろを、今日もトラックがビュンビュン走っています。

説明をする後ろを、今日もトラックがビュンビュン走っています。

参加者へ質問です。「ここでは空気中に含まれる最近話題の物質を計っていますが、さてなんでしょう?」の問いかけに、参加者からは「PM2.5!」とズバリ正解が。西淀川公害裁判の和解を受けて、全国で初めて、PM2.5の測定を始めたのがこの地点です。
それでは次の質問。「日本でPM2.5の環境基準は1年平均値15μg/m3。では歌島橋ではどれぐらいでしょう?」。「6!」「10?」正解は・・・24時間値で48.0μg/m3!(2012年調べ)。これには「えぇ!」という驚きの声が。PM2.5と言えば、最近の報道をみているとすべて中国から飛んできているような印象を受けますが、歌島橋交差点で続けてきた測定結果ではここ数年で急激に増えたなどということはありません。見た目では空気はきれいになったように思えますが、今も汚染は続いています。
そこから国道2号線沿いに南東へ。国道を外れて古い街並みに入ると途端に静かになります。何気なく歩いていると気づきませんが、国道沿いでの車の騒音を体感しました。
野里小学校前の掲示板には「この地域は、海抜およそ-1.1m」の表示と災害所避難所であるとの看板が。ここでは淀川勤労者厚生協会の松本さんから、よどの里は4階建てなので、町内会から地域の避難所にしてほしいとの申し入れがあったとの補足がありました。
今回のフィールドワークは、医療従事者のみなさんが対象ということで、いざ、災害が起こったら海抜の低い西淀川で何が起きるか、そのとき医療従事者に求められることはなにか、仕事につく前に想像してもらおうと、随所で問いかけました。

野里の住吉神社で質問。「今の淀川はいつできたでしょうか?」

野里の住吉神社で質問。「今の淀川はいつできたでしょうか?」

「野里の渡し」の石碑から柏里商店街入口までが旧中津川の川幅。歩いてみると結構あるように感じましたが、その後向かった今の淀川はやっぱり大きい!
かつては汚れてしまっていた淀川も、今は水質が改善されて、このあたりでとれるシジミは料亭に出すような立派なものがとれるそうです。

思ったより水がきれい!シジミと聞いて、足で穴を掘って探す人も・・・。

思ったより水がきれい!シジミと聞いて、足で穴を掘って探す人も・・・。

こんなに立派なシジミが!!

こんなに立派なシジミが!!

最後に桜咲く春の緑陰道路を味わって、フィールドワークは終了です。
約30人でまちを歩いていると「なにしてるんやろ?」と不思議そうにこちらを見ている人がチラホラ。そんな方に「西淀川の医療機関でこれから働かれるみなさんに、まちを知ってもらうための研修をしてるんですよ」とお伝えすると「それは大事やねぇ!」と嬉しそうに答えてくださいます。さらに毎年恒例だけあって、「西淀病院の新人研修やろ?」と嬉しそうに声をかけてくれる方もおられました。
次は、公害の詳しいお話です。

大阪人権博物館が制作された「西淀川公害を闘う」の映像をみて当時の様子や公害裁判について学んだ後、「西淀川公害患者と家族の会」の和田美頭子さんからお話を伺いました。

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和田さんは香川県高松市出身。1948(昭和23)年に西淀川に移り住んだ当時は、淀川には葦が茂り美しく、工場も少なかったそうです。それが昭和40年代半ばに入って咳き込むようになってきます。公害センターでの検査の結果、3級の公害患者として認定されました。

和田さんは公害患者として認定されたこと、「西淀川に住んでいる」ということに抵抗を感じるようになったそうです。西淀川が「どんなに汚いところか」と思われるように感じたからです。

ある日、診療所で咳き込んでいる子どもをみて「この病気になったのが、うちの子や孫でなくてよかった。よその子でも見ていてこんなに辛いのだから。これからの子どもたちにこんな思いをさせたくない」と思い、裁判に参加することを決意されました。

(当時の西淀川の様子はこちら http://www.aozora.or.jp/ecomuse/la_pollution/

田舎から訪ねて来られた甥御さんは、当時の西淀川の空気を吸って吐いてしまうような状況で、「高松へ帰ろう」と和田さんに言われたそうです。けれど、和田さんは帰りませんでした。「西淀川は第二のふるさと。私がどこかへ移っても公害はそのまま。西淀川がきれいな、住み良い町になってほしい」と思いを語られました。

裁判のお話、発作のつらさなど、様々なエピソードを語ってくださった和田さんは、「最近は私はひどい発作はないけれど、話もできないぐらいひどい症状に苦しんでいる人が今もたくさんいる」「西淀病院や野里診療所は安心して診療を受けられるところ。みなさん、頼りにしています」と、参加されたみなさんにエールを送り、話を終えられました。

参加者からは「小学校でも公害は習ったけれど、西淀川区でこんなことがあったとは初めて知った」「将来の私たちのことを考えて裁判してくれたことに感謝します」といった感想が出ました。

これから医療機関で働かれるみなさんがこの日の学びを活かして活躍されることを期待しています!

(栗本)

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,視察受入,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2014年4月4日3:08 PM
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